サトウシューズスタジオとは

世界有数の避暑(リゾート)地「軽井沢」で100年前から靴屋を営んでおります。

軽井沢は、明治時代半ばに外国人宣教師によって見いだされた避暑地です。明治19年、旅の途中で軽井沢に立ち寄った宣教師アレキサンダー・クロフト・ショーは、浅間山のふもとに広がる雄大な風景と爽やかな気候に感激。早速別荘を構えるとともに、多くの友人達にその魅力を伝えたことから、中山道の一宿場町は「国際リゾート」というまったく新しい歴史を歩み始めることになりました。

生活の基盤を支えていた江戸時代の参勤交代が廃止され、存亡の危機に瀕していた街道沿いの旅籠の主人達にとっても、それは千載一遇のチャンスでした。彼らは外国人たちから西洋ライフ指南を受けながら、ホテルやベーカリーといった外国人向けビジネスへと転換を図りました。

旅籠『萬屋』の主人・佐藤五三郎も、”軽井沢の村長さん”と慕われた宣教師ダニエル・ノーマンから「靴屋をやってみてはどうだ?」と勧められ、果敢に横浜修行に出かけていったベンチャー精神あふれるひとりでした。

こうして今から約100年前の明治36年、外国人避暑客で賑わうメインストリート(現・旧軽井沢銀座通り)中央に、「シューズメーカー G・サトウ」が誕生したのです。

当時の靴はすべてオーダーメイド。お客様ひとりひとりのお客様の足を丁寧に採寸し、木型を作り、何度も何度も調整を重ねて1足の靴を仕上げました。夏の間、軽井沢に長期滞在するお客様にとって、じっくり腰を据えて自分の足に合った靴をあつらえることができることはとても便利で都合の良いことでした。いつしかサトウは評判を呼び、都会の本宅に戻られてからも「靴はサトウで」とご要望をいただくほどに。『お客様が本当にご満足いくまで、徹底してリクエストに応える』という企業理念は、まさにこの時代に培われたものでした。

大正から戦前にかけての軽井沢は、日本人ハイソサエティの華やかな夏の社交場として一段の成熟の時を迎え、サトウのお客様も華族や政財界の方々など、そうそうたる人物が名を連ねました。本物を見抜くことに一切の妥協を許さなかった昭和の粋人・白州正子さんからオーダーが入ったのもそんな時代。先代当主が何度自信作を持参してもやり直しの連続。物づくりの本質を根底から教え込んでいただいた逸話は大切な財産となっています。

コンセプトは、natural(ナチュラル) & resort style(リゾートスタイル)

戦後の高度成長にあわせて、靴を取り巻く世界も大きく変化。機械靴と呼ばれる工業製品の質が飛躍的に向上するとともに、軽井沢を訪れるお客様の層も多彩に広がりました。サトウもシューズメーカーから仕入販売へと転換の時代を迎えました。

私ども”サトウ・シューズ・スタジオ”は軽井沢の自然を愛し、自然なスタイルを大切に、お客様ひとり一人に喜ばれる靴を次の100年も提供して参ります。